断捨離をした。
先ほどしたためていた断捨離についての記事が飛んだので再度。コピーしたはずなのにな??これからはテキストエディタに書いてから、コピペして投稿しよう。
部屋に無駄にモノが多いから、帰国してほぼ一週間経つのにスーツケースの中身を片付けようにも片付けられないので思いきって要らないものを選別した。
大きなゴミ袋2つ分の服、燃えるゴミ(ティッシュとか紙くずとか)1袋、燃えないゴミ(文房具とか小物)1袋、書籍の山に大別された。
以前も断捨離と称して大掃除したので、今回は半日程度で済んだのだけど、まだまだ不要なモノが多いと思う。
割と私は物持ちが良い方なのだが、逆に言うと捨てられない症候群のくせに新しいものを買ってしまうので、同じようなモノがごろごろあるわけだ。
もうこれは二度と読まないだろうし、ブックオフに持って行っても処分だろうなという本は古紙回収に出す事にした。
TOEICやらなんやらの資格本は本当に置いていても意味が無いと思うし、学生の頃の教科書や学会誌なんかを思い出代わりに取っておいていたのだけど読み返した事はほぼ無かった。
ネットで断捨離について色々読みあさったが、捨てられない人っていうのは思い出も大事にしている人なんじゃないかな。
さすがにプリクラや写真を全部捨てるのはためらわれたので、まあ死ぬまでおいておくかという一部を残しておいたのだけど、それも今後見るかどうかは怪しい。
むしろ、とんでもなく駄目な人生を送っている私は昔の写真を見た所で、「ああ、いまごろ○○はこんな素敵な人生を送っているのに・・・」と劣等感に苛まれるだけなのであまり視界に入れたくはない。
そういうわけで、Facebookもあまり見たくない。一部の海外の友人など、それ以外に連絡のとりようがない人がいるので、メッセンジャーのアプリだけ残して、iPhoneから要らないアプリを消すという作戦に出た。
パソコンからSNSをすることは、私の場合ほぼ皆無なのでアプリを消せば見なくて済むのだ。
インスタも、Facebookも大多数は自分の日常の中の一部の「シアワセ」を切り取って誇張して、「私はこんなにキラキラしてて、とってもハッピー」と自分を納得させるために使われている気がする。事実、メッセンジャーで日々の鬱憤を愚痴ってきた友人が、次の瞬間、とても幸せな写真と記事を投稿するのを何度も目にした。たまーに、「病んでる」感満載の投稿も見るが、大体そのあとは「やっぱりハッピーな自分」を演出する。
モノを買って、SNSに投稿して、シアワセの虚像を作って・・・
だから、明日からも要らないモノ、情報、人間関係、すっぱりとリセットする気で断捨離を進めようと思う。