ライフ ワズ ビューティフル

「普通」になりたかった「わたし」の独白。

Twitterを辞めた。

前々から感じていたのだが、Twitterというツールはとてもパーソナルスペースが狭いように感じる。

私はアカウントを幾つも持っていて、大体それらは二次元関係の趣味や好きなバンドの情報を追いかけるのにとても役立っていた。ただ、面倒くさいことにTwitterでは「ジャンル」ごとにアカウントを分けていないと何故か罪悪感に駆られるパターンが多い。

「関係のないツイートをしてすみません」と誰かが呟くことはよく有る。アニメのアカウントならアニメに関して、アイドルグループやバンドに関してならそれらの音楽に関して分けて呟いた方がベターという空気は、どことなくあった。

結局気を遣わなくていいように、私は二次元趣味(結構日常的なことが多い、所謂「本アカ」)、読書や映画、バンド系、そして裏アカ的なものを複数持ち使い分けるように務めていた。

 

正直に言おう。

とても面倒くさく疲れた。

何故一介の一般人である私が「この話題はこちらにしよう」「このアカの趣旨に即していないからアカウントを切り替えねば」という謎の義務感と使命感を感じて何になるというのだろう。

これらのことに辟易しつつも、アニメやスマフォアプリゲームを介して仲良くなったフォロワーの皆さんとのやり取りは本当に楽しかったし、中にはLINEを交換して、住んでいる場所が近いため一緒に何度か遊んでいる「ほぼリア友」な方もいた。

そういう方とは、もはやLINEで会話したり、実際にスタバかどこかで色々な話が出来る。女子校時代も、大学時代もあまり広く交際していなかったタイプの私には本当の友人の様でありがたかったし、向こうもお世辞かもしれないが友達だと思ってくれているようだ。

では、別に友達でもない微妙な関係のフォロワーさんに気を遣い毎日どう振る舞えばいいのか悩むことはとても勿体ないことなのでは?と思ったのだ。

 

私には、持病がある。呼吸器疾患と精神疾患,というか障害だ。精神の方は障碍者手帳の申請をして、今その結果を待っているところだ。

これらは厄介なことにリンクしているようで、何が一番厄介かというと、この呼吸器疾患、まあ言ってしまえば喘息なのだが、常に安定していない。

2月頃から寒暖差についていけず、拗らせまくって3月がピークに達していた。あの時メチャクチャに荒れていて、「いっそ殺してくれ」と本気で思ったくらいだ。成人発症したのだが、元から酷くアレルギー体質なので検査結果からアトピー型の喘息なことは判明した。

小児喘息と違って、殆ど治ることもなく寛解に持ち込むのもとても時間のかかるものらしい。体重は一気に5キロ以上落ちて、一時期は35キロしか無く拒食気味になっていた。どうせ食べても、噎せて吐いてしまうという恐怖で怖くて食べることすら難しかった。

その後なんやかんやで自宅療養しつつアプリゲーを何となく始めたら楽しくて、何故か生活リズムが整ったのである。まあ、ゲームする前には最低なにか食べて服薬してからというマイルールを設けたからだろうか。

そうして4月には好きなバンドのスタンディングライブにも2回行き、かなり前の方で思う存分楽しむことが出来た。不思議なことに、このライブ中は何度かメプチンという発作止めの吸入薬を使ったが倒れること無く最後までバンギャできたのである。

いやあ、音楽ってチカラだわーとか言っていたが、本当にそう思う。

 

その後、なんとか社会復帰を果たした私にとって、一番大切にすべきなのは現実だと気付いた。比較的健康になり、仕事も再開して趣味の語学のレッスンも再開した。今2つの外国語を学んでいる。英語は特に支障無く読み書きでき、たまに今の仕事で翻訳や通訳を務めている。

その外国語の先生が母国語の諺を教えてくれた。

いくつの言語を知っているかが、あなたの価値である。

これは単一民族で構成され、未だにモノリンガルでも生きていける日本人にはピンとこないが、諸外国に囲まれた小さな国の人間が商売して生きて行く上では外国語を習得して損は無い、むしろそれでビジネスチャンスや教養が増えるということを表しているのだ。

また付け加えて、こう言っていた。

「人生は短いから、出来るだけ多くのことをやるに越したことはない」

その通りだと思う。現実でないネット上だけのやり取りに頭を抱えて、「返事が遅くなってスミマセン」と罪悪感を感じながらもやり取りするのはとても時間が惜しい。

特に、何度か緊急で病院に駆け込んだことを思うと、不要なストレスを感じて実生活を疎かにしたく無い。もう二度と戻る場所が無くなるなんて嫌だと感じスッパリと本アカと裏アカを消した。

寂しいと言ってくれた方も居たが、私はその方の為に生きている訳でない。

それに前述の通り、本当に仲良くなった方とは他の手段で色んなことをLINEや実際の世界で話すことができる。

そうして、情報収集とTwilog用のアカウントを残し、私は交流目的のTwitterから去った。情報収集としてはとても便利だが、情報過多すぎて、私のような過敏なタイプの人間には毒になり得たのだ。

犬を飼っているのに、血液検査で今更犬アレルギーなことが判明したが、他にハウスダストだとかにも高いアレルギー反応を示していた。そして、血液検査で分からないのが、ストレスだ。私は双極性障害であり、不眠症である。17才頃からの付き合いであるが、双極性の方も「寛解はしても完治はない」というのがどうやら定説のようだ。

 

根本的に一生治らない病気を2つ抱えながら、不必要にストレスに晒されて生きるのは勿体ないと感じた。

それにアカウントをけしてまだ3日くらいだが、とても快適だ。

他の様々なブログでも目にしたが、SNS疲れを引き起こしているのなら、辞めてしまった方が良い。得たいものは、自分から探しに行けば良いのである。

それに、休みの日に起きてからやることが色々あっても時間が過ぎるのが遅く感じられる程だ。ダラダラとTwitterをしていた時間が如何に無駄かを知った。

ゲームして読書して語学の復習をして、ドラマを見ても時間が余る。ありがたい話だ。

 

行き急ぐようにあれもこれもやりたい私にとって、そして何度か文字通り死にかけたことのある私にとって、人生とは短くてあっという間に終わるパノラマ写真のようだと感じている。

こういうことを言う人間程案外大往生するのかもしれないが、人生どうなるか分からない。事件や事故は誰にでも降り掛かるが、全く持病がなく毎日薬に頼らず生活している人と、毎日高用量の吸入ステロイドと10錠以上もの薬によって「生かされている」状態の私では感じ方も違うと割り切った。

 

今ブログに思いの丈をこうして書いている時間は、頭の中の整理であり無駄でないと思う。

何もかもを有益か無駄かで判断するわけではないが、少なくとも悪い意味でのストレスにはなっていない。

笑いすぎても、楽しくて興奮しても発作を起こしてしまうような人間なので、せめて嫌なことは減らして正解なのだ。お笑いが好きなのに、それで笑って噎せて発作になり吸入薬でしのいでいるときは、「理不尽だろ」と感じるが仕方ない。もう、仕方ないのだ。

台風シーズンが憂鬱だが、すこしスッキリした。

まあ、やりたいことだけやって生きよう。現実が何より大切だと分かったのだから。