アダルトチルドレンな自分と子ども時代
「あなたはアダルトチルドレンですよ」と医師に言われた訳でもないが、私は自分のことをアダルトチルドレンだと思っている。
色々なサイトを見ても、かなり当てはまる項目が多い。
例に漏れず私も第一子だ。
機能不全家族で育つというが、どちらかと言えば、子ども時代は裕福に過ごしたと思う。嫌な言い方をすれば、物質的に、お金に困らない子ども時代だった。
大学生になり、アルバイトができるようになって初めて、1万円を稼ぐのがどれだけ大変か分かった。
子ども時代は転勤族だったせいもあるが、そのおかげで父の給料は一般のサラリーマンよりかなり高かったと思う。
ホテルに食事に行くことも、フルコースを頼むことも大してお金のかかることだと思っていなかったし、今更この年で他の同年代の子どもより10倍はお小遣いをもらっていたことを知った。
というのも、自分も私立の女子校に通っていたので必然的に似たような経済レベルの子弟が集まる。もちろん私の下にいる弟や妹も私立の男女別学校に通っていたので似たようなものだ。
修学旅行でお土産代だけに数万円を使ったのも今更吃驚するが、持たせたほうも持たせた方だなと思う。そんな金額、自分で海外旅行に行くようになってからも、ほぼ使わないのだから・・・・・・。
話をアダルトチルドレンに戻そう。
私は何でも卒なくこなす聞き分けのいい長女だった。
多分自分から何かやりたいと言い出したのは、保育園児のころピアノを習いたいと言ったのが最初だと思う。一番幼いころの記憶は4才くらいだろうか。ピアノと絵本、そして年の近い下のきょうだいの面倒をみる自分。
海外出張の多かった父は、その度にお土産を沢山くれた。
私が生まれてすぐの時にアメリカで買って来てくれた靴は、実はドール用だったという笑い話もある。おそらく5才頃に買って貰った如何にもアメリカンなジンジャークッキーのような形をしたドールというかぬいぐるみは、今も部屋にある。
先のドール用の靴も、部屋の本棚に置いてある。
多分愛されて、保育園、小学校、中高と育ってきたはずなのに、私には埋められないモノがある。
抱きしめてもらった記憶がない。
先日、弟が結婚式に自分の幼い頃の写真を使うからと言って、実家で写真を仕分けていた。私がピンで写っているものなどは、まとめて渡してくれた。
無造作に纏められた写真を手にしてみたが、記憶にない写真ばかりが、散らかっていた。
親はいろいろな場所に私を連れて行ってくれたのだろうが、ほとんど記憶に無い。
もちろん幼すぎるという理由のものもあるが、ある程度の年のものでも、「これは一体どういうシチュエーションなんだ」とか、「そもそもこんなところ行ったっけ?」というものがゴロゴロ出てくる。
多分、嫌なことや面白く無いことは自分でない誰かに肩代わりしてもらっていたんじゃないだろうか。
昔、保育園時代の連絡帳を見つけた。
そこに「何故お母さんは私を抱きしめてくれないのか」と母に言ったらしいことが記されていた。
年の近い2人の小さい子を抱えて大変だっただろうが、私はそれをずっと傍観していた。自分も、年は近く離れていない。
もしも、4才や5才くらい離れていたらもう少し母の愛情を独りじめできたのだろうかとも考えた。下の子を可愛がっており、いいお姉ちゃんであったし努めてそうしていたわけでもない。本能的に可愛いと思って、つい「よその赤ちゃんより可愛いね」と3才の私が口走って母を焦らせたエピソードもある。
もう下のきょうだいもいい年であり、家庭をもっているが、兄弟間の関係はとてもいい。ブラコンシスコンだとも思う。
だが、心のどこかで「もし私だけだったら、もっと私を見てくれたんだろうか」と思うこともある。
反抗期という反抗期のないまま大学生になり、就活や進学が全てどうでもよくなり、ふと「死んじゃおうかな」と思って決行したことがある。
バカなことをしたなと思うが、強い自殺願望というより「ふと消えても良いかな」と思ってバルビツール酸系の睡眠薬を100錠くらい飲んだと思う。多分、本当に自殺する人間というのは「死んでやる!!」よりも、こうした「あ、今ならもういいかな」という何となくの気持ちでやって、成功しちゃった人間なのだろう。
死ぬつもり半分、少し現実逃避したい気分半分。
その天秤がぐらっと死に傾いた時、人は自殺成功してしまうんだと。
子どもの頃から本さえ与えていれば大人しく、真面目で従順に成長していった私は、大人になってそういった形で歪さを生み出した。
今は17才の頃に発症した双極性障害と、その時からついて離れない「死の意識」に揺られながら普通の人っぽく生きている。
良い子だった私は、大学院を卒業してからダメ人間になり、今もそこから抜け出したいと考えつつも安住している。
自分の人生は自分しか生きられないから、好きにしようという声と、「良い子でいなくちゃいけない」という声に揺られながら。
常に何か研鑽していないと落ち着かない。
褒められたいというよりも、自分だけは自分を認めてあげたいだけなんだろうか。それも今は分からない。